ブランドとしての留学、というパチモノ
「留学から帰ってきたってだけで、なんかすごい人みたいな印象持たれちゃって。いい意味で頑張るモチベーションになったよ」
年末年始に再びカナダを訪れた先輩が、久しぶりの再会のなかでこぼしたセリフだ。
同じくUBCに留学していた同ゼミのその先輩は、卒業ものびる関係で僕らの代にくだってくるかたちでゼミに復帰した。
「すごい人みたいな印象持」ったのはまさしく僕をふくめた僕の同期である。
カナダからの留学帰りかー。
すげー。
みたいな。
なんとも安直である。
実際その先輩は、僕らの貼り付けた「すごい」の印象なんか凌駕する人格者だった、というのは同じグループでゼミのプロジェクトを進める中で、そしてUBCに刻まれたその方の足跡をたどる中で鮮明になっていった。
結果として本当に「すごい」方だったのでめでたしめでたしだったのだが・・・
今回のトピックを端的についているのがこの先輩のセリフなのだ。
すなわち、留学=すごい!みたいな風潮、である。
僕は某塾でアドバイザーのアルバイトをしていたのだが、
生徒に留学にいく旨をいうと
「えぇー!すごいっすねぇ!」「かっちょいいっすねぇ!!」
みたいなリアクションがもらえることが多かった。
当然嫌な気持ちはしない、しないのだが。
また、これから僕らが突入する就活市場においても
留学というのは結構有用、らしい。当然僕は人事ではないし就活の全貌を知り尽くしている自負なんかさらさらないが、そういう情報は多い。
不完全情報の塊であり、星の数いる学生から人材を選びとる過程の中で、「留学というブランド」に目が行くのも無理はない。いわゆるシグナリングの効果がある。
では、
留学=すごい!みたいな風潮の内訳はなんなのか考えてみる。
1つに、留学の権利を勝ち取った、という点だろうか。
たしかに、留学にはTOEFLのスコアなりGPAなりが必要になる。それらを獲得するために努力なり能力なりが必要になる。
また、これだけ留学留学騒がれているこのご時世、プログラムによってはなかなかな倍率をくぐりぬけることになる。
ただ、一方で。
留学の機会というのは結構転がっている。
金さえつめば行けてしまうようなプログラム、選考基準がガバガバなプログラムだってあるだろう。
いまや留学を宣伝文句にすることも珍しくないのだろうが、その枠への入り方は千差万別である。
2つに、当然ながら、異国での経験への憧れなり、そこで得られるプレミアムに起因するもの、だろうか。
僕個人的には、これも再考するといろいろとでてくる。
一言に留学といっても、その実情はプログラムによって、さらにいえば個人によって様々だ。
現地の大学で授業を受ける、というスタイルから、語学学校の類で「英語」の授業を受けるもの、留学と銘打っているけど遊びじゃないんすかそれ、みたいなものなど様々。
そして人に関しても。
一心不乱に勉強に励む人、ソーシャライズに勤しむ人。インターンシップしてみたり、旅に重きをおいてみたり。思い切ってホームステイをしたって子にも会った。残念ながらずっと日本人でかたまっていたり、お前それ日本でやれよ、みたいな生き方していたりな人も。これまた十人十色。
友人の言葉が非常に的を射ている。
「留学という環境が、描いていた留学生像を作るんではなくて、留学という環境をいかに自分で活かして自分の描く留学生像を作っていくのか。」
「留学するという事実だけでは何も変わらないんだ。」
留学というのは「箱」だ。
プログラム自体で、ある程度箱のカタチも決まってくるが、一方で中身をつめるのは自分次第。留学先から持って帰ってくる箱の中身も当然人によって大いに異なる。
留学生という身分になってみて、この多様性を実感もって知ることになったのは僕が鈍いからなのだろうが、
世間はあまりにも留学というものを「画一的」にみなしがちな風潮がある。
これはある種危険でもある。
箱の中身を見ることもなく、留学→すごい!みたいになってしまう風潮は、不完全情報下では仕方ない、仕方ないにしても、まことにいただけない。
確かに僕の周りの留学生には人間として尊敬できる人がうじゃうじゃいる。地頭キレキレな人、飽くなき努力の申し子、抜群のコミュ力の持ち主。ただ、これらは必ずしも「留学というブランド」に由来した尊敬の念ではないのではないだろうか。
僕が尊敬するのは、留学という箱にめいっぱい詰め込んで自身を磨いている人だ。
残念ながら、空っぽに近い箱の外見だけこれみよがしに見せる人間も生まれているのだろう。
ただ。
すごい!というなんか格をあげる表現はまことにいただけない一方で、
海外での滞在経験、そこでの思考は人としての「個性」「面白さ」には強いつながりをみせてくれるはずだ。
だから、留学していた人の話なんかきいていて「面白い」と感じる局面は多かった。これは「すごい」という感情とはまたずれる。
我々が抱くべき感情は「面白そう」であり、とたんに「すごい!」と考えてしまうのは本来早い。
留学は個性。
静岡出身のりょーすけさん
ワインよりもビールが好きなりょーすけさん
AKBとかあんま興味はないけど強いて言うとぱるる推しなりょーすけさん
と同じ温度感で、
カナダに留学してたりょーすけさん
となるべきだ。
ぱるる推しなのが「すごい!」とならないのとおんなじように
留学にいったことも別に「すごい!」にならなくて本望。
国際感覚身に着けてみました!いろんな価値観にふれました!みたいなのは
この「個性」に部類されるべきであり、
それがあたかも何か上位のものであるようにひけらかしてしまう人もいるのだろうが、それは非常に見苦しい。
悲しいかな、はwwwなにその実情wwwみたいなクソみたいなプログラム、クソみたいな留学生活している人に限って、
留学というブランドで人を惹きつけようとする気がする。とんだパチモノだ。
つまるところ人が何に憧れ何に惹かれるかは自由であるが、
僕としては、留学生がそのブランドにかまけた出過ぎた発言、自己顕示をするのはお門違いであり、
学生中心に、留学した人の周囲の人々はそれに騙されてはいけない。踊らされてはいけない。
もちろん本物の方が多い(と信じたい)が、ブランドモノは価値に伴ってパチモノも多くなる。
さて。
そんな僕も帰国がなかなかに迫っている。
帰ればゼミに復帰し、下の代に加わるわけだ。
何が言いたいか。
こういう記事を書くことで、無駄にハードルが上がるのを防ぎたい、のだ。
切実だ。
まぁ、あがったらあがったで。
高ければ高いハードルの方が 跳び越えた時気持ちいいもんな。(ミスチル風)