I don’t know, what do you think?
1ヶ月遡るけど、
12月はUBCのファイナル(=期末試験)タームでした。
みんな最後のテストに向けて目ん玉ひんむいて勉強にいそしむ。
当然教授のオフィスアワーもかけこみ質問生徒で溢れかえる。僕も例外ではない。
そんなわけで質問受付が一対一になるはずもなく、みんなでわいわいな質問会に。
そのオフィスアワーでの印象的な一場面。
学生がある資源政策の是非について
あまりに直球で尋ねた。
この政策は良かったのか悪かったのか、と。
で、
教授の答えが今回の記事のタイトル。
当たり前だが教授がI don’t knowなはずがない。
この人UBC経済でも指折りの有名教授。 I don’t knowなわきゃない。
(ちなみに我らがゼミの教授とおなかよし。僕は下手な成績とったらコロサレル)
するとその質問をした生徒はしどろもどろになりながらも自分の考えを伝えようとしていた。
しばらくして教授は解説をはじめた…
で、オフィスアワーの一幕に限らず、
つらつらと続いたファイナルのクエスチョンは
「あなたの意見を示しなさい」という主旨のessayが多かったのが印象的。
これは特定の教科に限らず。
ここに、短期海外調査でお世話になった教授のSTRONG WORDSがつながった。
「常に考え、自分の意見をもつこと、これを怠ってはいけないよ」
言われ古された表現だが、大学以降の学びは「解がない」。
政策の是非だとか、経済の展望とか、必ずしもこれが万能解というものはない。
こっちの教育ではそれが全面にでていて、
答えのない問いに対してロジックたてて意見を示す、ロジックがしっかりしていれば、つまるところ賛成でも反対でも構わない、というスタイルが確立されている。
教授のI don’t know, what do you think? はこの姿勢の端的なあらわれだった。
日本の試験はどうか。
essay型であっても、どちらかというと「事実の羅列」に重きが置かれていないだろうか。書籍の要約、とかもそう。
ウェーバーの官僚制の要素は?とか。
ケインジアンの思考って何?とか。
これはその解を覚えちゃえばこなせちゃう。
そうでなく、
ウェーバーの官僚制のモデルの是非は?
ケインジアンの思考にアナタは賛成?
こう聞いてあげることがつまるところ「考えさせる」ことだと思うし、
日本の学生はこういう「聞かれ方」にも慣れていないと思う。
日本人が自身を強く主張できないのもそもそもこういう訓練が足りないからなのかな、と。
こんなことを考えさせられた教授との問答でした。